[第Ⅳ部]
【 『茶の章;“The Chapter of Tea”』 】
ここからは長い余談ですが、現代中国でも茶はチャァと言います、但し語尾が上ります。西暦815年、聖徳太子の遣隋使のゆかりを引く海上安全の守護神社、大阪住吉大社付近の「住吉津(すみの江の津=港)」をターミナルとする遣唐船の高僧、永忠が茶を京都の天皇にもたらしました。 渡来期の中国音を調べても、中国の茶ァと、親しみをこめた大阪弁の茶ァが同じなのは偶然ではないと考えます。 上方(かみがた)以外では「お茶」と呼びます。 茶ァという発音は地方には、くだらなかった。しかし茶を飲む風習は一度すたれました。
ところが茶は禅宗で、ハイになるための薬草として再輸入された形跡があります。 薬草法は世界中にあるグローバルな修法です。
釈尊は日本の暦では4月8日に生まれたとされ、桜の頃なので潅仏会(かんぶつえ)を「花祭り」と言い、全宗派で祝われます。 甘茶は、茶とは独立のアジサイの原種植物で、インドで生産世界2位の茶に砂糖を入れたものではありません。 カフェインを含まず、歯周病に有効。 だから子どもの祭りともなり、ほとけ心の刷り込み(im‐printing)が行われるのは、子どものクリスマスケーキにキリストをそっと忍ばせておくのと同じ原理です。
1773年のボストン茶会事件以来、「英は茶←→米はコーヒーとは独立戦争の結果だ」と言います。 エスカレーターの立ち位置の東京と大阪での左右差も、1615年の家康と秀吉の結果かも知れません。大阪冬の陣とNYの被植民地化が同年です。
【 長寿の秘密; 「お水」の章;“The Secret of Water” 】(余談の2)
お経、お茶、お薬、御飯、お箸、お水、お母さん(は幼児語の「おうち」等の起源です)、お星さまは皆、命の源です(「信即命」の例としては、金星と釈迦・空海の大悟;日本書紀での神格化、そして北極星の妙見菩薩信仰、月輪観(既述)などがあります)。 丁寧語の根には、「対象から命を一体として授かる」という古代信仰の残り火が燃えています(反論してください)。 おウォーター、おヴァッサーと呼べる清水(主に軟水)は外国には無かった、昔の日本にしか……。 これが日本人の世界一の長寿の秘密の一つだと考えます。
◆ 2011年3年24日、小児科学会他は「①乳児に粉ミルクを与える時は、硬水のミネラル水よりも、水道水で溶かす方が安全である。 ②ミネラル水は煮沸してから適温にして溶かすように。」との重要な共同見解を発表しました!
硬水の国、英国で紅茶が主流となった理由として、私は「一時硬水説」を主張します。上記②に見られるように、煮沸すれば軟水に替わる硬水が一時硬水です。煮沸しても分解しないのが永久硬水です。英国は一時硬水が主という根拠があります。紅茶葉のブレンドの工夫で英国茶が有名になったと言う説よりも、説得力があると信じます。
「♪ 駿河の国に茶のか~お~り」と、茶を、「お」を付けず東京言葉の特徴である短い発音で呼び捨てたのは次郎長でした。 でも「清水の」という敬意が込められています。 静岡茶は宋時代の中国茶です。 『茶の本』の岡倉天心先生も次郎長の言葉を受け継いでいるかもしれません。でも「茶をいただけますか」とは言いにくい。関西では「茶ァもらえますか」と言えます。
宇治茶も宋の茶で、渋い苦い喫茶は、禅と、死(鮫島の主観)と縁が深い。次郎長、足利義政、淀殿(茶々)、利休、禁欲(わび茶)、真剣、接近戦。金銀装飾・金工・刀剣(初期の、書院の茶の湯期)。東海道沿いのイメージが強い、「闘茶」という遊びもある茶。 戦国時代は、戦意高揚のため濃い茶を飲んだと言うが、飲料水・傷の手当ての殺菌保存作用もあるのではと考えます。茶の湯の武者小路千家の京都、武者小路の地名の由来は京都御所警備の侍達の住所でした。以上、生死一如(しょうじいちにょ、後述)について述べました。
乳やぶどう酒が飲料の国々では、水垢離(ごり)ができません。欧州大陸は硬水で石鹸が泡立たない土地が多く、体臭を誤魔化すための香料争奪も(香辛料戦争と共に)植民地戦争の一因です。
かろうじてヨルダン河で、ガンジス河の斎戒沐浴(さいかいもくよく)の真似の洗礼をしました。全浸礼は稀。(濁っていても、人骨が流れていても、ガンジス河の水は神聖なのです)。
いや、キリスト者にとっては釈迦がヨハネ様御一行のマネをしたのです。 「潅仏会は潅水礼の真似ですよ、甘茶でカッポレ。天上天下唯我独尊とは言い過ぎだ。王様は佳い香りという支配階級の香油洗礼を、民衆の真水洗礼へと改革してくださったものを! 神の御子イエス様さえ水洗礼の受洗から始められたのです」――「いいえ、イエスは香油洗礼をも受けていますよ。 聖書を読んだのですか?!」
まあまあ。 ユーラシア大陸と言って、「ユーロ+アジア」で地続きなのだから同じ事をしているのです。