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11.『存在と時間』とあなたの生きがい

「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」(朱子[中国人]ではなく観中中諦(かんちゅうちゅうたい)[日本人=室町時代の臨済宗の僧]の作とされるようになった)と言い、また「光陰矢のごとし」と言います。歳をとるにつれて時間が速く過ぎ去るようになる原因を三つ考えました。

スケール・イフェクト(規模効果)

読者の中には成人してから母校の小学校を再訪された方も多いのではないでしょうか。そのとき通学路が案外短く近く感じられたり、『不思議の国のアリス』や『ガリバー旅行記』ではないですが、校庭の遊具や校舎がこんなに小さく狭かったのかと驚かれたことと思います。体自体が大きくなり、それに反比例して外部空間が小さくなっています。それと同時に時間も縮んでいます。通学路を子どもよりは大股で早く歩ききるわけですから。小学生の私には阪神電車で淀川鉄橋を渡る時間はとても長く感じられたものです。

分数効果

10歳の小学生に比べて50歳の壮年者には、時間が5倍の速度で過ぎ去ることを説明します。今までに生きてきた時間に対する、同じ1年間の占める重みの比率は、
10歳の場合  1年÷10年=0・1の比重
50歳の場合  1年÷50年=0・02の比重
1ヵ月の楽しい夏休みが小学生には0・1の手ごたえを与えるのに対して、1ヵ月の休みが壮年者にはその5分の1の0・02の軽い実感しかありません。つまり小学生のときの実感の5倍の速度であっけなく、ひと月が終わってしまいます。30日間÷5=実質6日分ということになります。

フレッシュマン・イフェクト(鮮度効果)

若い人は本人がフレッシュであるだけでなく、世界が新鮮な驚きに満ち、濃密に体験されます。しかし25歳を過ぎ加齢が進むと、残念ながら脳の感銘力・記銘力が落ち始めることは否定できません。世間の荒波にもまれているうちに、自分を守るためにだんだん鈍感になり、物覚えが悪くなるということです。

幼児にとっては得体の知れない・不思議な・好奇心を誘う、緑の塊り・高いゴツゴツとした盛り上がりであったモノが、比叡山というものだったと知らされ、そのうちに「あ、またか」となり、次に「あ、山」となり、抽象記号になり、新幹線の車窓風景のように、山、山……と素早く情報処理されてすっ飛んで行きはじめ、一個一個の個物との出会いだったものがパターンの繰り返しだと無意識に感得されて流れ始め、滑り出して過ぎてゆき、やがて、安全で無益なものは疲労を防ぐ能率上無視されて、その個物に結びついた時間もろとも消滅してしまい、世界に鬆(す)が入り、かくして体験される時間は短く薄くなってゆくのです。

◆ 女の時間、男の時間
ところで 女性の時間は、男性より速く進むことをご存知ですか? Why? なぜなら毎日、女性はお化粧に時間をさかなければならないから、余る時間が少なくなる。
だから女性の方が長生きできて、お化粧に費やした時間の埋め合わせができるようになっている。でもこれは淡い冗句ですよ、失礼。

就職して職場や仕事に慣れてくると、毎日は雑然とあわただしく、うわ滑りに流されてゆく世俗生活になっていきます。マンネリ化することも多い。「人はパンのみにて生きるにあらず」(『聖書』)と言います。なんとはないむなしさにとらわれて、アンカリング・ポイント(投錨地点)を求めながら、またむなしいものに流されてさ迷っている人は多いのです。
文豪、島崎藤村のいとこである精神医学者、島崎敏樹は「生きがいではなく、居甲斐(いがい)を求めるのも一つの生き方である」と述べています(『生きるとはなにか』)。人とのつどい・連帯に生きがいを見出すことです。ただ、この生き方をめざすと「仲良しクラブ」作りの傷のなめ合いにとどまってしまい、気の合わない人の前では、あるいは身内を失ったときや仲間が得られないときは、かえって孤独感を深めてしまうのではないでしょうか? 孤独に耐えること。「同行二人(どうぎょうににん)」と言います。仏ごころを持っていれば、孤独は無いということです。お大師様やご先祖様や経典の著者・翻訳者といつも一緒なのです。

フィールズ賞受賞の数学者、広中平祐は言いました――「みんなに嫌われても僕には帰ってゆく場所がある」と。生きがいを求めて大乗経典の森の中に踏み込んでゆくのも一つの方法です。昔は学問とか精神性への希求に答えてくれるものとしては、仏教しかなかったので、偉大な先達(せんだつ)たちはみな仏教に「来ています」。伝えられた経典群の中で深いお付き合いをすることができるのです。

先に「読経療法の4段階」ということを述べ、①子守唄の効果 ②カラオケの効果 ③納得の段階 ④帰依の段階について説明しましたが、実は⓪「暗誦の段階」ということについてはわざと触れないで済ませてきました。成人にとって暗記ということはたいへん困難な課題だからです。25歳を過ぎれば、まず脳の記憶力が落ち始めます。『般若心経』やその他大事なことがらはまだ幼いうちに、お子さんやお孫さんたちに暗誦・丸暗記させ叩き込んでください。成長してからその内容を学べばよいのです。

時代の寵児(ちょうじ)である脳科学者がよく「人は自分の脳の20%しか使い切らないで死ぬのだ、まだまだ余地がある」とか口走りますがウソです、似非(えせ)科学です。科学信仰であると分かっていて「信じる」のはよいことなのですが、どんな実験的根拠があると言うのですか。CTでもf-MRIでもPETでもSPECTでも脳磁図でも電子顕微鏡でも神経伝達物質の測定でも、そんなことは把握できません。だまされないでください。(脳の細部の活動から来る信号は微小で検出できないのです。)

しかし、記憶をつかさどる部位が主に側頭葉内側部の大脳皮質である「海馬」にあることは、神経生理学と脳病理学とPETの研究結果からほぼ確かです。「反復学習」によって、大脳皮質を中心とした神経細胞同士のつぎ目であるシナプスでの電気信号の伝達効率を短期的に上げることはできます。これを長期的に定着することが25歳を過ぎるとしだいに困難になってくるのです。

ところが、それだけではありません。歳をとると記憶力は落ちるが、総合的判断力は強くなります。結局、『論語』の「学びて時にこれを習(なら)う、また説(よろこ)ばしからずや」というところに落ち着きます。お手軽ではない楽しみがそこに見出せるかどうかを指標に進むのがよいと思います。

足早に過ぎ去る日々の貴重な一瞬一瞬の風光を濃密に繰り返し味わいながら、ザワザワしたあわただしさに巻き込まれないように心を澄ます時間を確保するため、孤独にも耐えうる練習をし、尊い人・書物・有意義な人生の節目はほんのわずかしか有り得ないのだと観念し、そこに的を絞って生活を簡素化し、時流に流されず、反復して噛みしめ、体験して記録を残し、少しずつだが自分の持ち分として増し加わってゆけば幸いであると考えます。 「良師は求めがたく、良友は得がたし」と言う諺があったと思います。

せっかく人として生まれがたき人に生まれ合わせて、信仰をかすめる所くらいまでは、誠実に頑張り苦しまなくては、後生に悔いを残すのではないでしょうか。

人生はマラソンではなくトライアスロンです。平均寿命が延びて、マラソンよりももっと長距離になってきています。「私はダメだ」という今までの固定観念を取っ払って、長寿時代の敗者復活戦を闘いましょう!